「ミス三重」が暮らしているネブラスカ州には、2008年、2010年、2011年、そして2017年に訪問しています。これまでの訪問についてご紹介します。
ネブラスカ訪問記
ミス三重の会事務局長 滝澤秀行
『82年のときを刻んでー人形大使「ミス三重」』(09年)より編集しました
2008年9月22日、セントレア14時20分発のノースウェスト72便にて、「ミス三重」貸し出し調印のための一行はネブラスカ州都リンカーン市へ旅たちました。
一行は、竹林会長・野呂副会長・山根幹事・私の4名です。
デトロイトで乗り換えのため2時間待ち、リンカーン空港へ着いたのは翌日の夕方5時前でした。
9月23日、調印式の日です。「ミス三重」はいったいどんな状態でいるのか、手紙類はどんな状態で保管されているのかなど、期待と不安を胸に貸し出し調印にのぞみました。
ネブラスカ州立大学は大変広い敷地をもち、三重大学の10倍以上はあるような構内に、フットボール場や野球場、駐車場がいたる所にあります。博物館は、この広い学内の真ん中にあります。私たちは付属の保管センターにて、初めて「ミス三重」と対面しました。
午後6時からは、グリュー館長主催の歓迎食事会に招待されました。博物館の副館長をはじめ、日本文化に造詣の深い学者、その奥様、通訳のお手伝いに来てくれた川崎文庫の小川さん、州立大学の天野さん、デボラ・ジョー夫妻、私たち4名、総勢30名ほどの食事会でした。
後半には、竹林会長のジョークの披露があり、大好評のパフォーマンスとなりました。
午後の空いた時間で、再び保管センターで、手紙の調査に取りかかりました。10通ずつ束に保管された封筒から、ていねいに手紙を取り出し、写真に撮りました。
巻紙、学校用便せん、高級便せん、葉書などいろいろな種類の手紙があることがわかりました。この時、お人形さんに先んじて手紙の貸し出しを要請しました。
3泊5日の強行日程では、実質2日間しかリンカーンでの活動時間がありません。25日の飛行機に乗るため、24日のうちにリンカーンの隣町オマハ(ネブラスカで一番大きい町)への移動です。
オマハには、デボラ・ジョーご夫妻が住んでおり、お二人からお別れ会をしてもらいました。デボラさんは大学時代に松阪へ一度フェスティバルで来日し、その後、ALTとして数年三重に住んでいて、山根幹事と当時から親交があり、今回のリンカーン訪問の大きな助っ人的存在でした。
訪問の様子は、ネブラスカ州立博物館のニュースレター「The Mammoth」(右)でも紹介されました。ダウンロードしてご覧下さい。
リンカーン空港には、州立博物館のグリュー館長と担当学芸員のスーザン・カーティスさん、かつて松阪市のALTをされたオマハ在住のデボラさんが出迎えに来てくれて、一同感激!
車で10分ほどでリンカーン市のホテルへ着きました。小休憩のあと、デボラさんのご両親であるノーマ・リンダご夫妻の自宅にて歓迎食事会を受けました。
ノーマ・リンダご夫妻はとても気さくな人柄で、リンカーンに語学留学に来る日本人学生のホームスティ受け入れを何度も経験されている日本人通でした。
持参した白い手袋を着け、調度品類を手に取り、その保存状態の良さに驚きました。
竹林会長とグリュー館長により調印が行われた後、館長が用意して下さったランチを頂きました。館長室には、歴代館長の写真が掲げてあり、当代のグリュー館長は8代目で、初代の女性館長ということでした。
急ぎ足で、次はネブラスカ州知事表敬訪問です。州庁舎は1910年代に建て替えられたものを順次増設したということで、まるで美術館のように壁面がレリーフや彫刻で飾られていました。
ハイネマン州知事に竹林会長が、野呂三重県知事の親書を代読した後、お渡ししました。里帰り展示会が成功しますようにと、励ましの言葉を頂きました。
9月24日は、午前はリンカーン市商工会議所表敬訪問でした。商工会会頭のウェンディ・バーシャルさんも女性でした。合併前の津市と同規模の人口のリンカーン市。会議所の会員数は津市を上回ると聞いて、竹林会長は関心されていました。
調査の結果、82年前の「お人形送別の歌」の楽譜が、この手紙の中にあることが判明し、一同大感激! この手紙を早く三重に持ち帰り、書き手を捜したいと強く思いました。
9月26日、オマハ空港より、まずはデトロイトへ。数時間のトランジットの間に空港内の寿司レストランで昼食を取りました。復路は、夜をまたぎ二日かけてセントレアへ。食事時間の他は睡眠に終始する機内でした。
グリュー館長はじめ、リンカーン州立博物館関係者が、こちらの予想以上に日本を知っていること、日本には何度も来ていることに驚きました。歓迎食事会でのグリュー館長の挨拶の言葉に「本日の調印式はことの始まりです。第1コーナーを回ったところです」とありました。これからが本番だなあと強く感じました。