ネブラスカを訪ねて
ミス三重の会 岩脇 彰
『答礼人形「ミス三重」里帰りの記録』(2010年)より編集しました
2010年7月1日から7日までネブラスカを訪ねました。会としては08年9月に続く2回目の訪問です。ネブラスカの皆さんに温かく迎えて頂いたことを中心にまとめてみました。
7月1日(木)
朝7時のセントレア。北は員弁、南は熊野から18人が集まり成田空港へ。9時過ぎに成田に着いた時、突然「ネブラスカにお越しの、答礼人形『ミス三重』の里帰りを実現させる会の皆さま」という機内アナウンス。何事かと一瞬緊張しましたが、「この先も良いご旅行になりますことを」と続き、一同笑顔。「ありがとう!」と竹林会長の明るい声が機内に響きました。セントレアで見送って下さったANAの方からの粋なプレゼントでした。
成田で吉德の青木勝さん・照子さんご夫妻と合流。それから11時間半のフライトで、シカゴ空港に着き、国内機でリンカーン空港に着いたのは現地時間で1日の13時半。セントレアを飛び立ってから19時間の長旅でした。
一行は、添乗員の原田祐美さん、シカゴ在住の現地ガイドの渡辺房子さんを加えて22名です。
7月2日(木)
①プレスコット小学校との交流
9時半にバスでホテルを出発してリンカーン市内のプレスコット小学校へ行きました。小学校にはスーザンさんと一緒に、ネブラスカ大学州立博物館のグリュー館長も来て下さいました。
小学校はすでに夏休み。周辺の小学校からもたくさんの子どもたちがサマープログラムに来ていました。
竹林会長の「私たちは皆さんと仲良くなれるように、日本の三重県から来ました。皆さんも大きくなったら日本へ、三重県へぜひ来て下さい」と挨拶の後、「人形大使ミス三重」の紙しばいを上演しました。
浜口晴さん(松阪)が英語で語って下さり、フットボールを応援している場面では楽しそうな笑いも起こりました。
リンカーン空港には、スーザンさん・リードさんご夫妻が出迎えて下さいました。スーザンさんはネブラスカ大学州立博物館の所蔵品管理アシスタントで、09年8月に「ミス三重」を持って来て下さったのも、10年5月に「ミス三重」を津まで迎えに来て下さったのもこのご夫妻です。その時に三重で楽しい交流をしたので、久しぶりの嬉しい再会でした。
空港近くのホリディインにチェックイン。部屋に入ると、ネブラスカ大学のプレム・ポールさんから、きれいなラッピングプレゼントが置かれていました。「インドに行く用事があってご一緒できませんが、歓迎します」というメッセージカードを私たち一人ひとりに下さいました。とても温かい交流ができそうな予感がしました。
次は福山瞳さん(松阪)と前田衣代さん(熊野)がモデルになって日本の着物の紹介をしました。
それからお楽しみコーナーです。子どもたちはテーブルを回って、習字、折り紙、絵手紙、しおり作り、けん玉や紙風船などの日本の遊びを体験しました。明るい笑い声と好奇心いっぱいの目。アメリカも日本も子どもは一緒です。この時間で私たちと子どもたちとの距離がぐっと近くなりました。
そして次は、清崎博さん(志摩)がマジックをして下さり、子どもたちはビックリ。小学校の先生たちも盛んに写真を撮っていました。
最後は小泉芳明さん(津)のハーモニカに合わせて、みんなで「ふるさと」を歌いました。
楽しく充実した2時間でした。
伊藤貞夫さん(員弁)は、お姉さんが作られた絵本『青い目の人形がやってきた』をプレゼントされ、いなべ市阿下喜小学校3年生から託された手紙を小学校に渡しました。
プレスコット小学校から返事が来ればいいなと思います。
7月2日(木)
②ネブラスカ大学州立博物館でのレセプション
この日は昼食も夕食も博物館で頂きました。お昼はグリュー館長やスーザンご夫妻をはじめ、大学関係者の方々との昼食会でした。
グリュー館長の挨拶で、黒船のペリー提督や昭和初期のジョセフ・グルー駐日大使がご親戚と知り驚きました。プレゼントして頂いた大学のバックは大きくて丈夫で、とても重宝しました。
ネブラスカ大学「川崎文庫」の小川禮子さん、名張市出身でネブラスカ大学現代言語文学学部教授の天野育穂さんなど、ネブラスカ在住の日本の方ともお会いできて、これからの交流に心強さを感じました。
レセプションの流儀は日本とずいぶん違いました。日本では挨拶から始まりますが、この日は博物館の廊下に並べられた立食用のテーブルで食事をしながら話をして、最後に挨拶などのプログラムが行われました。
仲良くなってからスピーチを聞くのも理にかなっていますし、都合で遅れて来る方も気軽に話から参加できるのでいい方法だと思いました。
「日本と違うので驚いたが、去年スーザンさんたちが日本に来た時は、日本のスタイルにもっと驚いたでしょうね」という滝澤事務局長の言葉も心に残りました。
こうしてお互いの文化を具体的に知っていくことこそ大切だと思いました。
7月2日(木)
③州立博物館での「ミス三重」展示
私たちの訪問に合わせて、博物館では「ミス三重 歴史を語る日本からの答礼人形」展が開催されました。期間は2010年7月3日から10月31日までで、一般公開に先だった2日のレセプションでも展示を見ることができました。
展示室の中央に「ミス三重」、背後にはお道具類が飾られていました。中でも注目されたのが、ミニチュアサイズで作られた煎茶用の急須や湯呑み茶碗などのお茶道具で、風炉・釜・水差し・茶筅もそろっています。展示の説明板には大部分のものに「1927年 三重県の子どもたちからの贈り物」と書かれていて、おそらく間違いはないと思いますが、今のところ当時の送別会写真や目録でもこれらのセットは見当たらないので確認が必要です。
もう一つ目を引いたのは入り口に飾られていた人形の貼り絵で、私たちの会の南部さん(鈴鹿市)が作られた「みえっ子」によく似ていました。作者はミッシ・J・ポールさんという方で、海を越えて「みえっ子」の魅力が伝わり広がっていることを感じて嬉しかったです。
7月3日(土)
この日はリンカーン市をたっぷり楽しみました。ダウンタウンで開催されている朝市「ヘイマーケット」の後、「ミスティ」というステーキハウスで昼食。昼食にはスーザン・リードご夫妻とデボラ・ジョーご夫妻も合流して下さり、サプライズで野呂幸世さんのバースディケーキも用意され、とても楽しい時間でした。
山上容子さんと前田衣代さんが「ミス三重」里帰りの熊野会場で展示された、たくさんの絵手紙を博物館にお贈りしました。
食事の後、グリュー館長が博物館の展示を案内して下さいました。
夜は博物館で歓迎レセプションが行われました。数十人のネブラスカの皆さんが来て下さり、最初のネブラスカ訪問でお世話になったデボラ・ジョーご夫妻とも再会を祝いました。
清崎博さん(志摩)は「ミス三重」の油絵をネブラスカ大学に寄贈されました。油絵はレセプションで披露され、大きな拍手で迎えられました。
レセプションにはネブラスカ大学のハーヴェイ・パールマン学長も出席されスピーチを頂きました。ネブラスカ州知事からのメッセージも紹介されました。「ミス三重」が架け橋になって三重とネブラスカのつながりが深くなればと思いました。
背面の展示ケースには1927年に三重から送られた子どもたちの手紙の実物が飾られていました。九鬼小学校をはじめ3通の手紙と、四郷小学校から送られたスケッチ、県立師範附属小学校の「人形を送る歌」の楽譜などがあり、他にも封筒が数枚展示されていました。会場の左側面には三重県を紹介する説明パネルがあり、右側面には私たちが作った紙しばい全巻を英訳したものが展示されていました。
私たちの里帰りと修復の取り組みで、「ミス三重」の歴史的価値が州立博物館で再認識され、博物館でのポジションがかなり良くなったことは大きな成果だと思います。
さらに、三重で収集した資料をお届けすることで、さらに人形交流について州立博物館に発信できればと思います。
午後はフットボールのスタジアム、現代アートのシェルドン美術館、ネイティブアメリカンについて展示するグレートプレーン美術館、そして空高くそびえる州庁舎などを見学しました。
アメリカの映画に西部劇がありますが、西部はネブラスカから始まることや、ネブラスカではネイティブアメリカンの研究が進んでいることを初めて知りました。この後に訪れたパイオニアパークでは少しだけ「西部」の雰囲気を感じることができました。
7月4日(日)
①川崎文庫
この日は独立記念日。ホテルのフロントは色とりどりの星で飾られ、星条旗もあちこちで掲げられていました。
朝から訪ねたのは、ネブラスカ大学構内のジャッキーゴーン多文化センター内にある川崎文庫(カワサキ・リーディング・ルーム)。ここは、ネブラスカ州に工場を造っている川崎モーターズの提供で、日本の書籍や雑誌、ビデオやDVDなどを閲覧するサービスをしています。館長のラセルさんや、ディレクタの小川禮子さん、川崎モーターズの丹波晨一さんが歓迎して下さいました。
川崎文庫は移転したばかりで、スペースはそれまでの3倍に広がったそうです。蔵書は8000冊とかなり豊富ですが、三重からも本を寄贈する取り組みができればと感じました。
川崎文庫で昼食も用意して下さり、何より久しぶりの炊き込みご飯と新鮮な野菜に感動しました。ミートローフやラザニア、そして独立記念日に定番の苺ケーキもとても美味しく頂きました。
7月4日(日)
②オマハ
午後は高速道路でオマハに行きました。アメリカの車やトラックは巨大なものが多く、道路や駐車場もそれに合わせて広くなっています。高速道路は4車線~5車線もあり、ゆったりしていました。町と町の間はずっとトウモロコシや大豆の畑が続き、日本と規模がまったく違いました。飛行機から見ると土地が見事に碁盤目に仕切られているのに、地上を走っているとその境目がまったくわからないのも不思議でした。
それからミズーリ川を見に行きました。水量が多く滔々と流れるミズーリ川の水は、数百km先のセントルイスでミシシッピ川と合流しますが、その途中にセントジョセフがあり、そこに「ミス兵庫」(元の「三重子」)がいます。ネブラスカのお隣のミズーリにいる「三重子」にも会いに行きたいし、ネブラスカや兵庫県の皆さんの気持ちを最優先にしながらセントジョセフとのつながりも深めたいと思いました。
昼食の時に、丹波さんからすてきな提案が出されました。ネブラスカと三重の子どもたちをお互いにホームステイさせて交流できないかという案です。三重の子どもたちが広大なネブラスカに来て「ミス三重」に会い、ネブラスカの子どもたちが三重の海で遊び、そこから新しいつながりができていくと考えるとわくわくします。
オマハではローリッツェン・ガーデンという植物園に行きました。中には富士山をイメージした日本庭園もありました。日本語で案内をしてくれたのが静岡大学から4ヶ月ネブラスカ大学オマハ校舎に来ている小野亜理沙さんでしたが、偶然にも岐阜県八百津町にある和知小学校の出身でした。和知小学校には「青い目の人形」バッテローや、ギューリック3世ご夫妻から送られた「新友情人形」ダイアンが大切にされています。小野さんも人形のことを話して下さり、「ミス三重」にも会いに行きたいと言って下さいました。
7月4日(日)
③感動的なスーザン・リードご夫妻のフェアウェルパーティ
アメリカでこんなにすごい花火を見れるとは思いませんでした。
スーザン・リードご夫妻がして下さったフェアウェルパーティにお邪魔したのは夜8時過ぎ。お二人が住むマンションの11階に着いた一行は、すばらしい景色に見とれました。11階には共用の屋外
マンションの隣人も交えてパーティが始まりました。ネブラスカ名物のルンザは玉ねぎのみじん切りとひき肉を炒めてパンに詰める、ボリュームのある料理で美味しかったです。何よりも一行が歓喜したのはスーザンさんが作って下さったおにぎりでした。インディカ米でない「スシライス」と海苔、そして梅干しで作られたおにぎりは、今回の交流の象徴にも感じました。
すばらしい料理と時間を作って下さったスーザン・リードご夫妻に、私たちからもプレゼントをしました。
会からは別所佳子さん(津市)に選んでもらった真珠のネックレス、吉德の青木ご夫妻からは扇子セット、山上さん(熊野市)から絵手紙製作キット、前田さん(熊野市)から浴衣セット、小林典子さん(松阪市)から松阪祇園祭のうちわ、浜口さん(松阪市)から富士山のTシャツなどなど。
浴衣を着たスーザンさんがマンションの友人に「これは日本の友だちからもらったのよ」と話されていた姿が心に残っています。
スペースがあり、そこから夕日に染まる州庁舎やネブラスカの街や平原をぐるりと見渡せるのです。スーザンさんたちの部屋のドアには「ミス三重」が飾ってありました。
暗くなると花火が上がり始めました。独立記念日にはあちこちで花火をたくさん上げます。あちこちと言っても津市や松阪市というレベルでなく、各町内でそれぞれが上げるという感じです。マンションの11階から見ると、切れ目なく絶え間なく花火が続く光景が180度以上続きます。今までに見たことのない発想の花火でした。
7月5日(月)~ シカゴなど
いよいよリンカーン市を離れる日が来ました。朝の空港にグリュー館長、スーザン・リードご夫妻、小川禮子さんが見送りに来て下さいました。11時に離陸して12時過ぎにシカゴに着陸。シカゴの空港はアトランタと並ぶアメリカ最大のハブ空港なのでとてつもなく広く、空港の中に東京の山手線がすっぽり入ってしまうそうです。
シカゴは見上げるような高層ビルが林立する大都市ですが、市街地に面したミシガン湖の水は沖縄の海のようにきれいで、東京湾や名古屋港と比べると不思議な気分でした。午後からは市内観光をして、夕食はローリーズというステーキハウスに行った後、現地ガイドの渡辺さんに教えてもらったパティ・ガイのライブハウスへ有志で行き、本場のシカゴブルースを楽しみました。
6日は朝7時半にホテルを出発して10時に成田行きに搭乗しました。飛行機では日本公演に向かうシカゴのアイリッシュダンスカンパニー「トリニティ」のメンバーと同席になり、話もできました。
今回のネブラスカへの旅は、これからネブラスカと三重がどのようにつながりを深めていくかを一緒に考えるいい機会になりました。とても楽しい旅にして下さった会員やネブラスカの皆さま、そして私たちをサポートして下さった添乗員の原田祐美さんと渡辺房子さんに感謝いたします。ありがとうございました。