Averill Manfacturing(アヴェリル マニュファクチャリング)社製。
パスポート未確認。ドレスは1992年に元・所有者が新調。レース部分は1927年のものを再利用。
名前:1993年に吉德がアニーと命名。
2008年にネブラスカ書簡で宇治山田市立第五尋常高等小学校の人形の名前がエセルアルワと判明。
送り主:不明
配布先:中島幼稚園または宇治山田市立第五尋常高等小学校(現:伊勢市立中島小学校)
歓迎会写真:未確認
ネブラスカ書簡:1通(高瀬 春さん)A479-13(宇治山田市立第五尋常高等小学校)
守った人:中島幼稚園の保育士(鈴木比左子さん。1921年生まれ)
戦争中に人形を守ったのは中島幼稚園で代用保母をされていた鈴木比左子さんです。鈴木さんが勤務された時、人形はケースに入れられて保母室の戸棚の上に置かれ、名前は忘れられていてただ「人形」と呼んでいました。
幼稚園の主任が「この人形もアメリカの人形だから捨てようか」と言った時、鈴木さんは「そんな。捨てるんやったら私がもうとくわ(もらうわ)」と言ったら、簡単にもらえたそうです。
鈴木さんは人形を家の押し入れに置きましたが、空襲に備えて衣類を木箱で10箱ほど近くに疎開させた時、人形も一緒に入れました。鈴木さんの家は空襲で焼けましたが、人形は無事でした。
1992年8月に鈴木さんは人形を中島幼稚園に返しに行かれました。そのために古い服から型紙をとって、よく似た色の布地で衣服を新しく作り直されました。ただ、下着のレースはアメリカ製の素敵なものだったので、外して洗ってそのまま同じ木綿製の新しい布に縫い付けたそうです。帽子のボタンも当時のものを使われています。
ところが、幼稚園は「青い目の人形」のことをまだ知らなかったために受け取ってもらえませんでした。そこで鈴木さんは14年前の1978年6月8日の毎日新聞夕刊で知った吉德に連絡をして、1992年12月に人形を送りました。
吉德は鈴木さんの思いに応え、頭部などがかなり痛んでいた人形を美しく修復し、当時東京でロングランをしていたミュージカルから「アニー」と名付けました。アニーは1993年3月31日に吉德の入社式にも出席して話題になりました。現在も多くの行事や出版物に登場しています。
この展示会の時に偶然、三重から送り出した答礼人形「三重子」の写真が中島小学校で見つかりました。「三重子」の写真が三重県内で確認されたのは初めてで、アニーの初めての里帰りと合わせて話題の多い展示会になりました。
移されたと判断し、2008年以降「エセルアルワ」として展示などで紹介してきました。
ところが2021年の調査で、1927年の人形配布では小学校よりも幼稚園を優先したこと、1927年の新聞記事(朝日新聞 1927.3.17)に「宇治山田市の7ヶ小学校及び幼稚園へ送られた青い目の人形は11個到着」と記された幼稚園4園の中に中島幼稚園が入っていることが判明したことから、この人形が中島幼稚園に贈られた可能性が高くなり、「エセルアルワ」と断定できなくなりました。
今後調査を進めていきたいです。